2022年11月11日金曜日

忘れられないジャカルタのカセット店


 90年代、ジャカルタ、アグスサリム通り(通称サバン)には行きつけのカセット店が2店あった。ジャカルタに広く支店をもつ、Duta Suara。その向かい側にあった、ちょっとさびれたDeltaだ。
 Duta suaraは新譜の入荷も早く、種類も豊富で夕方や休日はいつも混んでいた。昼間は割と空いていた。じっくりと目を皿のようにして色々とカセットを見たいオイラは、だいたい昼間に行っていた。一日2回、いや3回4回の時もあった。すべてのジャンルで見逃したものはないか、取りこぼしはないか、いつも気にしていた。その昔は試聴もできたようだが、この時代膨大なカセットを量産していたインドネシア、この店に限らず、試聴ブースを置くより多くのカセットを置くスペースを設置するため、試聴ブースは消えていった。

 一方のDeltaは、いつも閑散としていた。積極的に新譜カセットを売っていこうという姿勢が全くなく、そこにはゆるい空気がいつも流れていた。新しい情報よりも、オイラが見落とした情報がいつもそこにあった。Duta suaraに行った後、Deltaで売れ残りカセットを漁る、ジャカルタ・カセット探し至福の時間であった。

 Deltaには、試聴ブースがあった。毎回オイラが試聴していると、70代ぐらいのお爺ちゃんがいつもコーラを出してくれる。「いつ来たのか、いつまでいるのか」といつも聞いてくる。必ずコーラなのだ。外国人だからコーラなのか聞いたことがある。お爺ちゃんはそうだと答えたことを覚えている。試聴していると、ガキが店内で遊んでいたり、あまりに客が来ないので、店番の女性(30代後半?)はいつもレジ横で寝ていた。彼女がよく言っていたのは、「あなたの友達がさっき来たわよ」だった。日本人と思しき客は皆、オイラの友達だったようだ。しかし、この店で日本人に会ったことは一度もなかった。

 この店の一番の魅力は、売れ残ったカセット。2年も3年も経過したカセットがあることだ。デッド・ストックと言っていいだろう。ネットもスマホもない時代、本当に貴重な情報源だった。オイラのカセット人生で一番大切な店だったのだ。


           今ではdeltaのカセットケースもボロボロに...


 

2022年11月1日火曜日

聴くプロレス最高峰!

  



 80年代の中頃。オイラと小中の同級生の女性が倍賞美津子の付き人をしていた。丁度、娘がミュージカル「アニー」に出演していた頃だ。そういえば、招待券もらってミュージカルも観に行った。オイラがプロレス好きなのを知っていた同級生は、新日のグッズ(IWGPものが多かった)や、プロレスの招待券をよく、オイラにくれた。
 
 何年だか覚えていないが、忘れられない試合が「猪木VSブロディ」戦だ。案の定、場外戦になり、ブロディがチェーンを振り回し練り歩く。パイプ椅子は倒れていく。オイラは「観客傷つけたら傷害もんだいだろ!」なんて、一瞬考えた。でも、周りの人達はどんどん逃げていく、ブロディと目があった!距離にして3m位。震えながらに逃げる。倒れたパイプ椅子で何度も足をぶつけ、痛いけど必死のパッチだった。この時代、新日の試合は何度も観たが、必死のパッチはこれ一回きりだった。 
 
 新日本プロレスの旗揚げは、我が地元の大田体育館だ。ここで興行がある日は、近所によく宣伝カーが周っていた。電信柱にはポスターが貼られていた。子供の頃、いつかは観にいきたいと思っていた。

 このテープを聴くと思い出す。80年代前半、中学の同窓会を六本木「アントン・リヴ」で開催。200人位集めた。同級生のコネで安くやってもらったので、利益が出た。同窓会で利益...幹事全員で分配。3万円位だったか..バブルな夜だった。

忘れられないジャカルタのカセット店

 90年代、ジャカルタ、アグスサリム通り(通称サバン)には行きつけのカセット店が2店あった。ジャカルタに広く支店をもつ、Duta Suara。その向かい側にあった、ちょっとさびれたDeltaだ。  Duta suaraは新譜の入荷も早く、種類も豊富で夕方や休日はいつも混んでいた。...